インフルエンザ。
娘、ネズミ子が産まれて半年。
私はインフルエンザになった。
その日は朝から微熱があったんだけれどマモ〜は休めないと言う。
「早く帰ってくるようにする。」と言って出社して行った。
昼頃には熱が39℃近くまで上がって起き上がれない。
けれどネズミ子を見てくれる人が近くにいないために病院にいけない。
私はすがる思いでマモ〜の携帯に電話し、
「ネズミ子にうつしたくない、病院に行きたい、ネズミ子の面倒を見れない。
と訴えた。
「仕事中だから。善処します。」と言ったきり連絡が取れなくなった。
結局マモ〜は3日間何の連絡もないまま帰ってこなかった。
私は1日目に限界を感じ、泣きながら実家に電話した。
おゲン母は乗り慣れない電車を2時間近く乗り継ぎおゲンの家に来てくれた。
おゲン母はすぐ病院に行くように支度してくれた。
そしてネズミ子を預け病院へ。
なんとか薬が効くギリギリの時間に間に合った。
その後はよく覚えてない。
おゲン母は洗濯をし食器洗いをし、ひたすらおゲンの看病をしてくれた。
薬とおゲン母の看病のおかげで2日で熱が引いた。
その後もおゲンが心配だからとおゲン母はおゲンの家に泊まって行ってくれた。
心強かった。
4日目帰ってきたマモ〜の言葉は
「なんだたいしたことないじゃん。大袈裟なんだよ。」だった。
おゲン母は泣いていた。
おゲンも泣いた。
こんな奴がネズミ子の父親であることが情けなかった。
ちなみにマモ〜の謎の帰宅拒否の理由は
1・インフルがうつると困る。
2・インフルで死ぬわけがない。
3・熱でネズミ子の面倒が見れないなんて甘え。
4・クラブでイベントがあった。
の4点。
本物のばか。
最近。
とっても昔のことが思い出される。
ついでなので
遺言代わりに娘にお源(私です^^;)の過去を色々と暴露していこうかと思います。
私 : おゲン
元夫: マモ〜
姑 : ババァ
で、今日はタイタニックについて。
言わずと知れた名作です。でも「タイタニック」と聞くと胸が苦しくなるんです。
23年経った今も・・・・
なが〜いお話しを始めます。
それではそれでは・・・。
タイタニック上映時期、私は妊娠8ヶ月、いわゆる安定期でした、働いてましたけどね。
たまたま元夫マモ〜と映画の話になり「タイタニックで」大盛り上がり!
次の土曜に観にいこうと指定席も購入し、帰りに夕ご飯も食べようか、4時間は長いから途中で退席できるように端の席がいいねとか、少なくとも私は楽しみにしてました。
そして前日。元姑(ババァ)からの電話。
「もしもし〜おゲンさん(私)?マモ〜いるかしら?PCの調子が悪くてね。ちょと教えて欲しいの。」
夕飯の途中だと言うのに電話で延々2時間。それでも決着つかず元夫マモ〜は片道新幹線2時間のところをババァ住む実家へ最終便で戻って行きました。
金曜の夜に出発しなんの連絡もなく戻って来たのは日曜の最終便。
マモ〜がポンっと机の上に置いたのはなんとタイタニックのパンフレット。
一瞬意味が分からず「何これ?」とネズミに聞くと
「ババァがどうしても見たいって言うから昨日行ってきた。」と悪びれもせず報告。
「おゲンと行くって約束してたよね?なんでババァに先約があるって言わないの?おゲンにはいつも先約優先っていってババァとの約束優先するじゃん!」と泣きながら抗議すると
「じゃぁ明日行けばいいじゃん、俺(マモ〜)は外で待ってるし、何ならもう一回見に行ってもいいよ、寝るかも知れんけど。」
そう言うことじゃない
悔しくて涙が止まらなかった。なんでだかよく分からないけど悔しかった。
そしてそこから過呼吸発作が出るようになった。
タイタニックに罪はないけど音楽が流れてきただけで呼吸がおかしくなる。
私の鬱やパニックの始まりのお話し。
何ヶ月ぶりかに
娘から電話があった。
不自由そうな生活。
気の張った生活。
でもそれがいいという。
放置だな。
平匡さんが可愛すぎて・・・。
仮死状態になっておりました。
なんて素敵なんでしょう平匡さん。
原作のアラサー女子と同じく「平匡さんと結婚したかった。」と呟く大馬鹿者です。
冗談はここまでにして・・・。
実は私、職場に潰され仕事に潰され、病みまくって自宅療養を言い渡されておりました。
過食嘔吐の人なので見た目はむしろ健康そう。ていうかデブ。
なので誰にも心配されず無茶振りされまくった挙句ある日突然、涙が止まらなくなり起き上がれなくなりました。
以来ずっとぼやぼやしております。
またぼちぼち書いていこうっと。
平匡さんが・・・・。
平匡さんが・・・・